日本国内のコンサートの終了後、英国へ
帰国された藤岡さんからお便りが届きました。
今回は藤岡さんの「ショルティ」氏についての想い出です。


 

みなさんお元気ですか。

23日のコンサートの後マンチェスターに戻ってきました。

9月5日、23日 両日ともおかげさまでチケットは売り切れ、沢山のお客様に来て いただきほんとうにありがとうございました。(5日の日に溢れてしまったお客様ほ んとうに、ほんとうに申し訳ありませんでした。)

それから徳島の小松島でも関西フィルとコンサートをしてきました。潮の香りのする町に素敵なホール,アットホームな雰囲気でとても楽しめました。(曲目は新世界etc)またみなさんにお会いできるのを楽しみにしています!

さて、今日はショルティの話をしようと思います

9月5日がショルティの命日だったからです。

僕はショルティの弟子だったわけではないのですが、彼のアシスタントを何度かした ことがあって大きな影響をうけました。

最初にアシスタントをしたのは95年。当時僕が副指揮者をしていたBBCフィル (マンチェスターが本拠地)は、ヴィーンフィル、シカゴso と並んでショルティが 毎年必ず客演する数少ないオーケストラのひとつで、ロンドンでコンサートをすることになったのです。
この時、オケが僕に素晴らしいチャンスをくれました。そのコンサートの1週間前に全く同じプログラムのコンサートを、僕にマンチェスターで振らせてくれたのです。
以下の文章は「僕のショルティの思い出」です。


僕のコンサートの1週間ほど前にショルティにレッスンを受けることになって、彼の家に行った(曲目はブルックナーの1番)。
彼の音楽室に通されるとすぐ彼が現れて

「I am Solti 」

と一言。(すごいオーラがでてた。)
椅子に座るとすぐスコアを開いてメトロノームを片手に、テンポ、ダイナミックス、 フレージング等かなり細かい説明をはじめる。(僕はショルティはもっと大雑把なイメージがあったので驚いた。)
特にテンポでは

「絶対遅くなり過ぎないように。」

と繰り返していたのが嬉しかった。
僕も、内心、テンポの遅すぎるブルックナー の演奏が多すぎると思っていたので。
(僕はブルックナーはハイドンの延長線上にあると考えている。ハイドンを勉強すれ ばするほど、ブルックナーのスコアの中にハイドンが見える。)

1楽章が終わって2楽章になると彼もだんだん熱がこもってきてピアノに座る。(音楽室にはスタンウエィのフルコンが2台向き合って置いてある。)

「君は低音部を弾 いて」と言われ、ぼくは立ったままで連弾。

ちょうどこの楽章が終わったところで彼のマネージャーが紅茶とクッキーを運んできてちょっと一息。 紅茶を飲みながら3楽章に入る。

ところが彼のこのスケルツォのテンポにびっくり! 狂ったように早い。
「エッ マジかよ」と日本語でつぶやいちゃったぐらいで、思わず  
「マエストロ、ほんとうにこのテンポでお振りになるのですか?」
と聞くと、

「Yes this is a storm 」。 

何もいい返せない迫力だった。

 

ショルティにもらった指揮棒と、コンサート後にThank you とサインしてくれた、R.Strauss の「ツァラトゥストラはかく語りき」のスコア。

 

4楽章も終わって時計を見るともう2時間以上経っていて、
「こういうブルックナーは日本人にはウケないだろうけど僕は好きだなぁ」
と思いつつ彼の家を後にした。

後日、ショルティに会ったときに、僕の演奏をすごく誉めてくれて(テープを聴いて くれたらしい)、BBCに「このジャパニーズにもっとブルックナーを振らせろ」と 言ってくれたおかげで、次の年に3番を振ることができた。

2度目のアシスタントは96年で曲は R.シュトラウスの「死と変容」と「ツァラトゥストラはかく語りき」。この時もショルティの客演する1週間前に同じプロを振らせてくれた。

このリハーサルは生涯忘れられないものだった。

彼のリハーサルは高齢にもかかわらず、椅子に座ることなく1日6時間目いっぱい練習する。
初日の「ツァラ......」のリハーサルでは、冒頭のトゥッティの和音のリズムを左手で自分のはげた頭を叩きながら何度も譜面どうりのリズムで弾かせたり、とにかくスコアにかかれている音を忠実に再現する職人のようだった。

ところが2日目の「死と変容」で彼は別人となる。初日ではあれほどリズムにうるさかったのに、この日は冒頭からスコアにないルバートをかけて「もっと弱々しく」と何度も練習する。
30分後にはリハーサルをしていたスタジオがまるで1本のロウソクに支えられた闇 の世界のようになってしまう。

中間部では強烈なアッチェレランドとダイナミックスでオケが唸りをあげ、終結部の 美しさにはしばらく声もでなかった。
この時、僕の心はまるで少年時代のように「指揮者になりたい...........」という 気持ちでいっぱいになっていた。

リハーサル終了後、彼の控え室に行くと

「指揮台に立ったら絶対あきらめるな。」

と 一言だけ言って、たった今使っていた手垢のついた指揮棒をプレゼントしてくれた。

次の年の冬もアシスタントをする予定だったけれど(ショスタコーヴィッチの15番)、僕の仕事と重なってできなかった。 そしてその年の秋に、帰らぬ人となってしまった。

80を過ぎてなお持ち続けていた強烈な「信念とパッション」、そして「絶対にあ きらめるな」の一言。
ショルティは指揮者にとって絶対不可欠なものを僕の心に焼き付けてくれた。 仕事をすればするほどそれを持ちつづけることがいかに難しいか身にしみる。
それでも僕が指揮者である限り、ショルティの残してくれた言葉を絶対に忘れることはないだろう。

「ショルティの思い出」は今でも僕の心を奮い立たせてくれます。
僕にとってとても大切な出来事だったのでいつか書こうとおもってました。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
次の機会には(順序が逆になってしまいましたが)僕の恩師渡邉暁雄先生の思い出 について語りたいとおもいます。 それではまた。

                          2000年10月2日




PS1 今週は去年の10月に紹介したダラム交響楽団との仕事です。
    初めて「惑星」を振ります。今までこの曲ちょっとばかにし
    てたけど、大間違い!。       
PS2 久しぶりに日本のドラマにはまりました。送ってもらった
    ビデオで「リミット」。でも終わりに近ずくにつれて納得
    がいかない。(よくありがちですよね。)交響曲も終わり
    を作曲するのが一番難しいといっていた誰かの言葉をおも
    いだしました。(次元が違うか.ごめんなさい。)
PS3 10月に渋谷のタワーレコードで吉松さんと新しいCD(交
    響曲1番etc)のサイン会があります。
    早急に詳細を発表しますのでお見逃しなく!

※左上の写真は、
 
撮影:設楽茂男
 写真提供:「メンズクラブ・ドルソ」99年秋号/アシェット婦人画報社刊」
 です。無断転載をお断りします。

〜藤岡幸夫さんを応援するWEBの会より〜
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