今回の藤岡さんのお手紙は、藤岡さんの住む街「マンチェスター」についてのいろいろなお話です。
今回の写真も藤岡さんの大切なプライベート写真です(写真はもちろん大きなJPEG写真にリンクしてあります) 。お楽しみ下さい。
感想のメールもお待ちしています。


 皆さんお元気ですか?
 さて今回は今まであまりしなかった、マンチェスター関係の話です。

 僕がマンチェスターにやってきたのは1990年。
89年に日フィルでディーリアスの「人生のミサ」を振りに来た故サー・チャールズ・グローヴスのアシスタントをしてたときグローヴス先生に
「是非イギリスに勉強にいらっしゃい。 それもマンチェスターの王立音大の指揮科が一番いい。」
といわれたのがはじまりだった。
それまでマンチェスターといえば小学校のときに習った産業革命でしか聞いた事のない街だった。

 とにかく「絶対一旗あげるまで日本には帰らない」という決意のもとマンチェスターへ。そのときはまだ僕の大学での身分ははっきりしてなかった。 マンチェスターに着いてはじめて会ったのが指揮科と管楽器科の主任教授のティム(正確にはTimothy Reynish)。いきなり入試。いろんなテストをされて幸運にも、この年は一人も大学院生をとらなかったので(すでに一般の入試は終わっていた)正規の大学院生になることができた。 2年目からは奨学金をもらい、まず大学院を2年で卒業、その後はフェロウシップ(大学院の後、更に奨学金をもらって勉強する制度。学生というより指導者の立場になる。)で3年いた。もっとも最後の2年は学外でも仕事をしてたのでほとんど学校には行かなかったけど・・・・・。

 マンチェスターに着いてからはこのティムに本当に可愛がってもらった。 彼は僕を「My son(僕の息子)」と呼び僕はティムのことを「Dad(お父さん)」と呼んでいた。
今ではお互い忙しくてなかなか会えないが連絡は取り合ってる。彼の声を聞くとホットする。

 ティムは元々は天才ホルン奏者で、18歳のときにバーミンガムsoのトップ奏者になり、その後ロイヤルオペラのオケに移り、指揮者に転向。途中からこの王立ノーザン音大に強行にスカウトされ教育の道に入った人だ。
 とにかくティムはその人柄と教育への情熱でイギリスの音楽界で知らない人がいないくらいの有名人。イギリスで活躍する若い指揮者の多くは彼の生徒だ。声が大きく口も悪いけど憎めない。音楽に関しては勿論厳しいが普段はティムといると笑いが絶えないし暖かくってスケールの大きな人だ。
 彼のお父さんは牧師様。クリスマスイヴの夜は生徒達がみんな彼の家に集まって、一軒一軒近所の家の前で賛美歌を歌う。本当に素適なイヴだった。そのティムも今年で定年。学校も淋しくなるなぁ。

 ティムの考えは
「指揮は教えられるもんじゃない、経験が一番の先生。」
入学するや否やまずティムが振るはずだった「展覧会の絵」などのコンサートを振らせてもらい授業が始まると毎週に室内オケとシンフォニーオケを振る時間があり、その他にオペラが入ってきて(学校に立派なオペラハウスがある)、さらにティムがあっちこっちのアマチュアオケの仕事を取ってきてくれてもう勉強が大変だった。
 今思うとあれよあれよという間に2年半が過ぎて、BBCフィルの定期に代役でデビューして副指揮者になり、若い指揮者のための賞を貰ってた。

    

大学院の卒業式
Timの家でレッスン(学生時代)
Timと、Timのお宅のお庭で

 

湖水地方のマナーハウスで





久しぶりの日本の休日。これから湘南に行って風になる(?)藤岡さん。


 さて、マンチェスターはというとまず雨が多いので有名。
でもこの10年間で天気は不思議なくらい随分良くなった。でも雨が多いおかげで勉強に集中できた。

 スポーツ、音楽が盛んな街でも知られる。バルビローリ時代に黄金期を迎えたハレ管弦楽団とショルティ曰くイギリスで最も上手なオケの1ついというBBCフィルそれにマンチェスター室内管と3つのオーケストラが活躍。
 またサッカーのマンチェスターユナイテッドが有名。マン・ユナイテッドは暫く低迷してたけど日本のシャープがマンチェスターに工場を構え、ユナイテッドのスポンサーになってから2部リーグから這い上がりこの5年は黄金時代だ。このほかにこれまた日本のブラザーがスポンサーをするマンチェスター・シティというサッカーチームも活躍する。
 ところでマンチェスターという街は旧西側ヨーロッパで最も学生の多い街。だからいわゆるクラブミュージックはまずここで流行る。ここで流行った曲がロンドンで流行りそれがアメリカでヒットしてという曲が結構多い。例えば80年代のバナナラマとかリックアストレイ、デッド・オア・アライブ、カイリー・ミノーグなんて僕はアメリカ人かと思ってたけどイギリス人でこのルートでヒットした人達だった。

  それからマンチェスターの自慢は空港。 タイムズかなんだかの雑誌での世界中の空港ランキングでベスト3に入続ける。
理由は乗り換えが便利でヨーロッパの都市ならどこでも行ける、街から離れていない、それに働いてる人がフレンドリーだからだそうだ。とにかくマンチェスター人はイギリスではマンキュニアンと呼ばれ、みんな人懐っこい事で知られる。街で歩いてると目が会うとみんなにっこりするし、バス停とかでも当たり前のように話しかけてくる。またマンキュニアンアクセントというのがあって僕の英語でも無意識にそれがでることがあったりして時々イギリス人に笑われたりする。

  僕は東京では大学時代のキャンパスの思い出はほとんどない。二ヶ月に1回くらいしか登校しなかったし、どのクラブにも入ってなかった。(よく卒業できたもんだ)。マンチェスターでは大学にはホントよく通って真面目に勉強した。そしてプロのオケから初めてギャラを貰ったのもBBCフィルからだった。
  マンチェスターはいわば音楽家として僕が生まれた町で第二の故郷。緑が多く、物価も安くて住み易い。 このところ日本やオーストラリアの仕事が増えてマンチェスターにいる時間が減ったけどやっぱり自分の家はといえばこのマンチェスターです。

それでは皆さんお元気で!コンサートで会いましょう!

2001年7月24日 


PS1.6月の関西フィルの定期を聴きにいく。指揮は阪哲朗君。ブラームスの二番も 素晴らしかったが、前半のベルグは関西フィルから清潔感のある音を見事に 引き出していた。すげぇ才能だと思った。コンサート後は一緒に食事して、 初対面とは思えないほど楽しめた。人柄も魅力的。再会が楽しみ。

PS2.「海流の中の島々」を3年振りに読む。いつ読んでも本当に風を感じる。 僕は「老人と海」より傑作だと思う。ところでヘミングウェイの主人公って 絶対みんなB型(じゃないかな?)。

PS3.池辺晋一郎先生のチェロコンチェルトを振る。この曲また振りたい!ところ で僕がデビューしたてのころ池辺先生にパーティの席で大勢の前で「先生 なんでオーケストラ作品でメロディをお書きにならないんですか?」と失礼 な質問をして一瞬場がシーンとしたことがあった。 そのとき先生は「そういう背筋に戦慄(旋律に引っ掛けたジョーク)が走る 質問はやめてくれ」とおっしゃて笑われたことがあった。 今思うととんでもないこといったもんだ。この曲には素敵なメロディー沢山 あるしそれだけでなく名作だと思った。

PS4.吉松さんの来年公開用のTV(あるいは映画。ここまでしか今はいえません。) 用の新曲を日フィルと録音した。オンド・マルトノに二十絃筝、篳篥、しょ う、それにフルオケという編成でめちゃくちゃ冴えてる曲でした。5番が楽し み!

PS5.遅れ馳せながら「ライフイズビューティフル」を見る。よかったー。

PS6.二年前の第九で共演した大津と和歌山の合唱団とフォーレのレクィエムコン サートを終える。フォーレは本当に難しい。でも両合唱団ともよく頑張った。 今年の第九も頑張りましょう!

PS7.オールスターの松坂に失望。変化球が多すぎる。松坂はもっとストレート を投げて欲しい。点を取られた上に四球を出して笑ってるとは何事だ? 後半戦に入るライオンズが心配。


   
※本ページの写真は藤岡さんのプライベート写真です。
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