今回は藤岡さんから、前回の藤岡さんのお手紙への雪村さんのご意見についてのお返事です。


  みなさん、お元気ですか?

僕は、来週から始まる吉松さんの4枚目のCD(Symphony No.1と鳥と虹によせる雅歌)の準備でヒイヒイ言っています。でも、この2曲も素晴らしい曲なので、是非楽しみにしていて下さいね!

さて、今回は前回の僕の手紙についていただいた、雪村さんの下記のご意見に対するお返事という形でレターを出します。なぜなら、前回のレターを書いた時、必ず雪村さんのような意見の方もいるだろうなと思っているからです。
前回の僕のレターをよんで「そんな必要ないんじゃない?」とか「文化が違うから仕方ないよ」という考えの方も多いのでは・・・?というご意見ですが、「その通り」です。
特に東京に住んでいる方などはクラシックの演奏会は充分すぎる程あるので、そう思われる方も多いでしょう。それに、元々クラシックは西洋文化。はっきり言って、日本のクラシック界がここまで来たことが奇跡だと思っています。
つまり前回の僕の意見は、音楽家としての立場(つまりより多くの人達に聴いて欲しいという)理想論です。
ただし、人にはそれぞれ色々な意見もあるし、僕はこのホームページでは論争をしようと思っていないので、この件についてレターするのは今回限りということで、もう一度お話します。

雪村さんのお手紙
藤岡さま
今回は長くてすみません。最初に申し上げておきます。
お写真つきLetter、拝読しながらいろいろ考えさせられました。
この夏、藤岡さんが言われている底辺そのもののようなコンサートに遭遇しました。クラシックではありません、「津軽三味線高橋裕次郎の会」(単にチケットがあまってて誘われた)by渋谷区民会館での観客の様子が・・です。
邦楽の衰退はクラシックの現状より酷いと聞いていたのに、ホールは満員!お客はさすがに中高年が多いものの、若い人の姿もかなりあり。お客の乗らせ方も半端じゃなく、芸術的に聴かせる所は聴かせ、笑わせる所は思いっきり(トークのおもしろさは吉本の若手芸人なんかメじゃありません)笑わせる。これを同一人物がやっているのです。客席ははっきりいって、騒がしくマナー良くなく、ホールだって音響悪いのですが、「楽しむ」という点において演奏者&観客のどん欲さは半端ではありませんでした。
確かにこれも一つの感動のカタチなのだろうと思います。ジャズクラブでの喧噪の中での演奏に感動するように。こんなにおもしろいものがあったのか!しまった!というのが正直なところでした(^^)。
ただ、私はクラシックの演奏会がここまでマナー悪くなって欲しくないですし(日本のマナーの良さに慣れていると、海外での悪さにあ然とすることもあります!)、オケの調律がおわり、全てが静寂に包まれるあの一瞬が無くなって欲しくもありません。
最近トーク付き演奏会が増えているようですが、確かに好きな演奏家の方のお話を聞くこともしたいけれど、あれは危険なことだとも思います(藤岡さんは賛成なのですよね)。よほど話術に長けて場数を踏んでなければ、「ちょいおもしろい」くらいで終わってしまいます。あるいは単なる演奏家からの解説と。
演奏家は演奏だけで本来その真価を問うべき、という点がぼやかされてしまうのではないのでしょうか?
また、演奏家の方からのレクチャーがあると事前あるいは事後にいろいろ調べてみる楽しみ(知る楽しみですね)が奪われてしまうのではないでしょうか?間違った解釈でもいいから、自分なりの印象を得ることは大切なことだと私は考えるのです。また、そういう魅力がある演奏でなければ、消えても仕方ないと思います(過激でしょうか?)。
そういう演奏会のかたちは他のジャンルにまかせておいて、最初から最後までピーンと糸が張りつめたような演奏会があってもいいじゃないか、とも思うのですが。
お客の底辺を育てること。娯楽の種類が多すぎて、お金と時間がいろいろと拡散してしまう今では難しいことだと思います。せめてチケット代がもう少し安くなってくれればなあ、と思いつくくらいです。
もっと難しいのは、演奏家の成長にあわせ、聴衆も成長しなければならないってことですね。
何せ、レンタルで借りて聴いてから気に入ったCDを買うのが普通になってきているわけで、こういう人ばっかりだったら吉松作品は全滅ですね(^^:)。良いものを自分の目で見つけるためには、多少の無駄な投資もやむを得ないというのが、やってみた実感です(吉松作品にたどり着くまで一度聴いてはやめた現代音楽CDの山!)。
後はJ-popのように有線やCMに乗って自然と耳に入る状況を作るかしかないのかもしれません。
でもクラシックの未来はまだまだ捨てたものじゃないと思います。
映画だって、一度は衰退したけれど、また復活したではありませんか。あれだけの年月人々に愛されてきたものがそうそう無くなることは絶対にないと思います。演奏に魅力があれば、きっと底辺は育つ筈です。何しろわたしたち日本人は幼少期から芽だけはまかれているんですから。
えらそうな発言になってしまいましたが、藤岡さんだけではなく、他の方のご意見も拝聴してみたいと思っています。
              1999年8月30日 雪村 澪
 


さて、雪村さんのレターへのお返事ですが(いつもレターありがとうございます)、 まず、僕はクラシックが無くなるなどとは、これっぽっちも思っていませんヨ。
永久に残ります。ただ、演奏会の減少、CDが売れないという現象はすでに始まっています。これは不景気によるものだけとは思っていません。その一方で、J-POP、ROCKは絶好調なのですから。
その結果、将来、クラシックはほんの限られた人達の趣味になってしまう可能性はあります。(何と言っても、子供が少なくなっているし、高齢化現象も含めて)ファンが少なければ、演奏会は減る。演奏会が減ればレパートリーもせまくなり、それこそ新しい作品などは生まれにくくなってしまうでしょう。
僕の意見は気軽にホールに足を運ぶ人を増やせば→企業のスポンサーなどによって現在のオーケストラの金銭面がよくなる→演奏会の数も増える→チケットが安くなる(?)→レパートリーが広がり新しい作品の発表の場が増える、といった単純なものです。
雪村さんは映画を例にとっていらっしゃいますね。それこそ理想的な形です。何故今映画が黄金期かと言えば、気軽に映画館に足を運ぶ人達が沢山いるからです。それは宣伝の仕方がとても上手く、又人々は魅力ある新しい作品にまず興味をもちます。
一般映画ファンの多くは、その演技力(音楽で言えばあなたの言う演奏の魅力に当たるのでは?)よりも先に、作品に感動します。最も、作品よりも俳優さんに惹かれることもあるでしょうけれど。そして映画通と言われる人達は彼等の演技力・監督のセンスetc.etc.に夢中となる訳です。
僕は日本でも、このような自由な楽しみ方を、クラシックでもできるようになれば・・と思っているのです。



さて、トーク付きのコンサートの件についてですが、雪村さんのようにすでにクラシックを身近に感じていらっしゃるファンの多くの方はあまり好まないでしょう。よく分かります。ただしクラシックファンを増やすために、オーケストラが年に何回かトーク付きのコンサートを行うのは、一向に構わないのでは・・・?
又、雪村さんのおっしゃるように「演奏に魅力があれば、必ず底辺が育つ」はまさにその通りですが、それだけでは仲々簡単に演奏会に人が集まらない(日本全体の底辺という意味で)のが現状なのです。
勿論雪村さんの言う様に演奏に魅力がなければならないのは当然ですね。僕もガンバリます。

さて、今回もちょっと難しいレターになってしまいました。
この件に関しては僕はもうコメントしませんが、このホームページをご覧のみなさんは、雪村さんが書かれていますように、ぜひ、どうぞご意見をよせて下さい。僕も楽しみにしています。
雪村さんも是非又レター下さいね。

それでは又・・・。
1999年9月2日  藤岡 幸夫


追伸:前回のレターの中で書いたプロムスについてちょっと説明します。
   (日本では最終日のバカ騒ぎだけが有名なので)
   7月半ばから9月半ばまで、2ケ月間ロンドンのロイヤルアルバート
   ホールで毎晩コンサートが開かれます。
   オーケストラは英国の各オケが中心となり、勿論毎晩全く違うプロ
   グラムで。特にここ数年は必ずそれに現代の作曲家の作品が含まれ
   ます。平均入場者数は約6,000人!!(一晩)。FMが全てLiveで
   放送し、TVも週に1回ライブ放送します。日本がここまでなってく
   れとは思っていませんけれど、スゴイですよね。



 
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